今回ははじめから立ち会うことが出来た。
ちょっとしか見れなかった前回は実は「恋バナ」が続いたらしいのだけれど、今回は「あれやこれや」でした。
喫茶店のマスター、東京の看板、イカの燻製、コロナになった、牛乳はよくないと言われた、結婚式の衣装、などなど。踊りもあった。私もはじめてエピソードを話すことができた。新しくなった自動ドアのセンサーの話。参加もした。良い演劇を見た感じだった。
演劇というもの一般ではお客さんの待つ本番なるものに向かって、演出家のもと一致団結し、次第に形作られていく過程があって、完成したそれはとても美しい結晶のように思う。私もまたそんなエネルギーに魅了されてきました。
けれど水性演劇部では、どこからか流れついて来てくれた人々がわずかな時間だけ集まり、少し話して、演じてみて、また流れ帰ってしまう。どの過程も手の平からこぼれ落ちる水のようにあっけない。 小さな水源たちが合流し混ざり合い、固形化するかと思えた瞬間、揮発してしまうかのように終わってしまう(今日は水性的な喩えをしてみてます)。演劇というよりちょっとした現象か幻のようで、終わったら終わり。その時間たのしく頑張るけれど、行雲流水、失敗も成功もなく、手を振って夜の商店街へと流れて消えていく。
みんなを見送り、ちらりと自動ドアのセンサーを見つめ(話したから)、「確かにこれもまた演劇のかたち。良い。」と、今回も思えた、かな?以前の日誌やこちらに書いたようなことからはじまる、WSという形をとりながら、新たな演劇の提示になると良いね、という感触。まだ途上かも知れないけれど。
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